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鷹は舞い降りた [偽善者の日記]

裏の空き地に鷹が舞い降りた。

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数羽のカラスと争いながら、足に何かをがっしりと掴んで降りてきた。
猛禽類に詳しくないけど鷹だと思う。

約束があったたので観察もそこそこに写真だけ撮って出掛けた。
5時間後、帰宅すると・・・
まだ、いました!

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近づくとこちらをじっと凝視。威圧感はんぱなし
本物の野生でした。

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タグ: 野生
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足かけ10年の歴史に幕 [偽善者の日記]

 台風14号が過ぎ去り、第49回となる幼稚園の運動会は開催された。我が家の末娘の年長の運動会はコロナ禍の影響で年長だけでの実施となった。
 時間は午前中だけ。お弁当もなく荷物も少な目。人数は例年の1/3。席取りの順番が88番と後ろから数えられる番号だったこともあり、早朝の席取りにも参加しなかった。その分遅めの起床になってバタバタの登園は、過去が活かされない私のあるあるである。
 誕生日が近いということで選手宣誓に選ばれた娘。元気はいっぱい、言葉は棒読みの壇上の娘に胸が熱くなるお父さんあるある。
 障害物競走は練習では何度も1位をとっていたらしく、自信満々に1位になると宣言しながら娘は登園したけれど、気持ちが競りすぎてスタート早々に大コケ。それでもすぐ立ち上がり最後まで走り抜ける姿にまた胸を熱くした。
 全員リレーは、本格的なフォームで走る子がいると思えば、先生の付き添いがなければ走れない子、後ろを気にしすぎてコースを大きくはずれる子もいて、順位は常に入れ替わる。みんながそれぞれに一生懸命に目の前を走り抜けていく様は、自分の子が出ているいないに関わらず、毎年感動。彼女、彼らを羨ましくも誇らしく思う。

 雨の中のプログラムもあったけれど、途中から雲は流れ去り青空が広がった。

 例年なら全園児と親御さんが芋荒い状態でおどる最後のプログラム。「にんげんっていいな」に合わせて妻とおどる娘の姿に祭りの終わりを一人感じる辛気臭い私。
 長女の年少での参加から足かけ10年、毎年参加し続けた幼稚園の運動会も今日で幕を閉じた。昼食の席で「親子競技の時、お父さん一人だけめっちゃ笑顔で走ってたよ」と次女が話した。
 そうだろうそうだろう。

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物語はただそのこにあるだけではない [偽善者の日記]

 ちょっと疲れている時に、子供が借りてきた本を読むことがある。物語が一直線で、何を伝えたいかがはっきりとしているのがいい。それでいて思いもしなかった結末に意表を突かれたりすると気分も高揚する。
 岡田淳の「そこから逃げ出す魔法のことば」は孫のちょっとした疑問や呟きをきっかけに、おじいちゃんがほら話のような冒険談を話す。その話は孫のつっこみを上手く取り込みながら小気味よく進む。いくつかある物語全てが「お後がよろしいようで」と締めるのがぴったりなオチで創作落語のよう。
 岡田淳の他の話も読みたくなって図書館にあった「ふしぎの時間割」を借りてきた。話は10話。その中の「ピータイルねこ」は小学校で一人で行ける場所がトイレだけという一年生の女の子が保健室に届け物に行く話。
 トイレに一人で行けたのは"みどり"という女の子の名前と同じ緑色の床材をたどって行くことができる場所だから。その緑色だけという制約から女の子を解き放ってくれたのが黒い猫。保健室に届け物が終わってめでたしめでたしで終わらず、猫の機転で締めるところがいい。
 緑色の床材だけしか歩けないという設定に「レナードの朝」を思い出した。色のついたタイルしか歩けなかったのは、ロバート・デ・ニーロだったっけ?女性だったような気もする。霧が晴れたように病気から解放されたデ・ニーロの表現が胸を打った。
 「ピータイルねこ」も物語の最後、世界の広がりを知り飛び跳ねながら猫とともに去っていく女の子の後ろ姿が目に浮かぶようだった。
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少女の孤独が物語の扉を開く [偽善者の日記]


ジャーニー 女の子とまほうのマーカー (講談社の翻訳絵本)



クエスト にじいろの地図のなぞ (講談社の翻訳絵本)



リターン 洞くつ壁画のまほう (講談社の翻訳絵本)



3冊とも作中に一切言葉がない。絵だけで進む物語の中に各話を跨ぐ伏線まで敷かれている。おもしろい。本当におもしろい。3冊並べて、それぞれの話のどの絵が他の話のどこに繋がっているのかを探して、往きつ戻りつ追ってしまった。
3冊それぞれの最後のページの絵が、この物語で伝えたいのは冒険のワクワクではないんじゃないかと思わせる。3冊目の終わり、光溢れる町並みに揚がる赤い凧だけを描ける作者のストリーテラーぶりを、誰かと共有したくて久しぶりにブログを更新してしまった。


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丸善が私のスーパー銭湯 [偽善者の日記]

 我が家には書斎があった。机の上にノートパソコンと無造作に並んだ本。手狭ではあったがあれは確かに書斎だった。使わなかったけど・・・

 子供の頃から家では机に向かう習慣がなかった。今も家にいるとき、大抵のことは居間の卓袱台で済ませる。仕事など集中したいことがある時は、子供たちを居間から追い出す。
「私には書斎なんて必要なかったのだ」と思っていたのだけれど、書斎に求めるべき機能が違っていたのかもしれない。『書斎の鍵』は「書斎は心の浴室」と説く。何じゃそれと思った人、是非読んで欲しいです。

 本屋や図書館で背表紙を眺めるのが好きで今も職場への行き帰りにフラフラと立ち寄る。興味のあるテーマのコーナーからはその分野で知るべき全容を推し量る。新刊のコーナーの前では、最近他で得た情報の扱われ方を見る。好きな作家の作品が置いてある棚は、新刊が出ていなくても時々覗く。そこに並ぶ作品を眺め、以前読んだ内容を反芻する。

 書斎が心の浴室であるならば、小さな書店は心の温泉旅館。大型書店はスーパー銭湯といえるかもしれない。


書斎の鍵 (父が遺した「人生の奇跡」)

書斎の鍵 (父が遺した「人生の奇跡」)

  • 作者: 喜多川 泰
  • 出版社/メーカー: 現代書林
  • 発売日: 2015/06/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



ふり幅の広い人でありたい [偽善者の日記]

 常識的で堅物だけど抜けたところがある主人公の政と、非常識だけど人情の機微に敏感な源。『政と源』は73歳の幼なじみの交流を主軸にした三浦しをんお得意の凸凹コンビの物語。主役をじいさんにすることで人生の重みという安定作用が働き、他作品で感じた男としてちょっと恥ずかしくなる友情の過大美化が気にならない。私としては、他の有名な賞をとった作品より好きだ。


政と源

政と源

  • 作者: 三浦 しをん
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/08/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 このところ仕事関連の本ばかり読んで、頭が効率的に文字を追うようになっていたのでじっくりと味わうように読んだ。政のようなキャラクターになるかのように突き進んでいたが、本書のおかげで自分の源的な一面を掘り起こせて、ちょっとした軌道修正になったと思う。


 読後にふとわいた疑問。私の周りは私の中に常識的な堅物と非常識な異端児のどちらを見ているのだろう?


わが街の注目企業 『井上スパイス工業株式会社』 [偽善者の日記]

 数年前、ちょっと覗いた地元のお祭りで食べたカレーが、自治体主催のお祭りレベルに収まらないおいしさで『井上スパイス』の名前が胸に刻まれた。井上スパイスはその名の通り、香辛料やレトルトカレーのメーカーで、飲食店を経営しているわけではない。なので特製カレーが食べられるのは年に一度のお祭りの時だけ(と思っていた)。お祭り以外ではスーパーの地元食材コーナーでアッピーカレーをたまに買うくらいのちょっと物足りない関係がしばらく続いた。
 そんな片思い的な間柄に新たな展開を与えたのが、地域のコミュニティマガジン。なんと昨年の12月に本社敷地内に飲食店を出店していたとのこと。企業サイトも確認すると4月にはカレー祭りなるものも開催していたらしい。カレー祭りを逃したショックは大きく、自分の情報感度の低さを大いに悔やんだ。

 井上ラブから文章を書き始めたけど、スパイスがピリッと効いた記事にならない。つべこべ書かずにまずはカレーを食べに行けということだな。


義母と戯れる春 [偽善者の日記]

 夜中に足がつった。

 奈良から妻の手伝いに来ている義母とのコミュニケーション活性のため朝食の席で報告した。
「わたしもたまになりますのんや。塩分が不足してるんですわ。最近はなんでも減塩減塩でっしゃろ?体のミネラルが不足すると足がつったりするんです。良い天然の塩をひとつまみ舐めるとならんようになります」
「ああ、それ聞いたことがあります。天然塩かぁ・・・こんなのを食べてもダメですよね?使ってるのはきっと精製塩だろうし」
 食卓に並ぶ塩がたっぷりまぶしてある塩昆布を指さす。
「何だっていいんですよ。ちょっと塩分をとれば」
「いやミネラル豊富な天然塩がいいんじゃ・・・」
「もう、パキさんは理屈っぽいですな。Na!ナトリウムを取ればいいんです!」
「ミネラルが無くなってますよ。さらに最初に理屈をこねたのも、今こねてるのもお義母さんなんですけど・・・」
 とりえずコミュニケーションの量はかせいだ。

この前の義母
>>義母と戯れる秋


末娘が茂木先生に似ている [偽善者の日記]


僕たちは美しく生きていけるのだろうか。

僕たちは美しく生きていけるのだろうか。

  • 作者: 茂木 健一郎
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2011/09/08
  • メディア: 単行本


 私の中で脳科学者といえば茂木先生。メディアで見かけた当初、脳科学という分野を研究している学者は茂木先生しかいないものと勘違いしていた人も多いだろう。
 ところで脳科学については「アハ」以外の知識が一切ない。合コンネタの準備も不要なステータスになり、特に知識を深めたい対象ではなかった。にも関わらず本書を読んでしまったのは「はじめに」で語られる尾崎豊を熱唱する茂木先生になんとなく共感してしまったのだろう。
 中身は美を学術的に論じる一方で、茂木先生が若かかりし頃感じた思いを美という観点でとらえ直すエッセイ的な文章が混ざる。そのエッセイ的な文章に使われるエピソードがいい。
 講師をしていた予備校近くの汚いラーメン屋と気の良さそうなおかみさんのいる寿司屋を語る節。「はじめに」で語られた成長にともなう友人達の変化。その時点では何の感慨もない出来事でも今その時間へ記憶をたどると、全てのものは皆美しい。そんな気持ちにさせられる。
 一冊まるごとをこの形式を貫いてくれたら、私好みの本になっていただろう。

梨木 香歩は好きな小説家の一人です [偽善者の日記]


岸辺のヤービ (福音館創作童話シリーズ)

岸辺のヤービ (福音館創作童話シリーズ)

  • 作者: 梨木 香歩
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 2015/09/09
  • メディア: 単行本


『岸辺のヤービ』は、長編ファンタジーの序章という位置づけらしく、登場人物の性格を丁寧に拾い、舞台や設定などこれから展開してく物語の枠組みを読者に提示して、次作以降の広がりを予感させる作りとなっている。
 児童文学に分類されているのだが、物語にちりばめられているのは、ネオコチノイドの影響を想起させる蜂の減少や異常気象による水源の変化、菜食主義者などマイノリティへの配慮など新聞で扱われるような社会問題。そこに自分の周囲の環境や対人関係などに対する思春期特有の敏感な感性というスパイスを加えている。ヤービという架空の生き物を主役に置いてファンタジーに仕上げているが、けっこう硬派な物語だ。
 これからの展開は『僕は、そして僕たちはどう生きるか』の時に感じた「考えて。もっと考えて。で行動するの?しないの?」的な問いかけをヤービというオブラートに包みつつ読者に投げかけてきそうな気がする。作者が一般大人向けの小説で描く"諦め"を振り払い、若い世代に問いかけることで自分が大切にしてきたことを守ってくれる次の世代を育てたい、そんな思いを感じた。
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