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調子が悪いところがないわけではない [偽善者の日記]

 健康診断の結果が返ってきた。

総合判定A

 受ける前は「健康診断なんて結局わかる病気しかわからないだよね」なんて当たり前のことをうそぶいていたが、わかり易い病気にはかかっていないようだ。わかりにくい病気にかかっているのなら、そのまま気づかずに日々過ごしていければと。

あの日のかっぽうぎは眩しかった [偽善者の日記]

 並べられたお総菜から何を選ぼうかと悩んでいると「温かいのを出し直すので言ってくださいね」とおばちゃんが笑顔で対応してくれる。
 メインに筑前煮。小皿にはきんぴらゴボウ、青菜のおひたし、アジフライをチョイス。ご飯は少なめと伝えると目の前で分量を確認しながら盛ってくれる。
 ここは『かっぽうぎ』店名に違わぬ気さくなおばちゃんが接客にあたる。何となく店の雰囲気も明るい。

 しかし!
 おばちゃん達が身に纏うのは、エプロン。これは如何なものかと問い正しかけて、はたと気づいた。

 『あの日』の影響だ!

 あの日、一時的に盛り上がったかっぽうぎというコスプレは、その後のバッシングによりSTAP細胞以上の負のイメージを背負ってしまったのだ。フネさんが地道に築いたイメージに乗っかって、ブランドを確立しようとしたフジオフードシステムは戦略の転換を余儀なくされたに違いない。
 さっきまで感じていた店の明るい雰囲気は虚構だった。おばちゃん達の笑顔の裏に、エプロンによって盛り返しつつあった経営が『あの日』の出版による余波で、再度脅かされ時給が下がることに怯える素顔が伺えた。

がんばれ『かっぽうぎ』
がんばれおばちゃん達
がんばれSTAP細胞
がんばれ
fune.png



あの日

あの日

  • 作者: 小保方 晴子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/01/29
  • メディア: 単行本



おおやけ基地 [偽善者の日記]

「お父さん、秘密基地作るから手伝って」長女が誘う。
 秘密基地という言葉が私の中に潜む少年の皮をかぶったおじさん心をくすぐる。
 手伝いたい。でも面倒くさい。
「秘密基地は子供だけで作るから面白いんだよ」と私。

 子供達は、物置から段ボールを引っ張り出し、ウッドデッキの上に仕切を作り始めた。風の強い日で、並べるそばから飛ばされる段ボール。長女の指示で大きな石を集め重しにする次女と長男。なかなか統率がとれている。
 形になってくると、私も手を出したくてうずうずしてくる。が、”子供が集中して何かに取り組んでいる時は邪魔ををするべからず”たしか子育て番組で言っていた。
 頃合いを見計らって、ビニールシートをプレゼントする。雨対策は重要だ。しばらくしてから覗くと、私が買ったことも忘れていた園芸用の長い支柱を見つけてきて柿の木と組み合わせ、屋根らしきものを作り始めていた。はしごも使ったようで少し高めの屋根になっている。良い出来映えだ。

「いいじゃない」と私。
「でも。道路から見てもなんかあるってわかって秘密になってないよね」と長女。

 翌朝、天気は雨。風はなく屋根が機能したおかげで、段ボールの濡れは少ない。
 我が家の庭は畑を挟んで通学路に面している。登校中の長女を観察してみた。
 黄色い帽子を目深にかぶった長女は、傘を揺らしながら秘密基地を指さし、登校班のみんなに何かを楽しそうに語りながら歩いていた。


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哲学の深みにははまれそうにない [偽善者の日記]

 偉人達の残す逸話はいい。
 古代ギリシャの哲学者ディオゲネスの逸話を知っている人は多いと思う。

紀元前336年、アレクサンドロス大王がコリントスに将軍として訪れたとき、ディオゲネスが挨拶に来なかったので、大王の方から会いに行った。ディオゲネスは、体育場の隅にいて日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れたアレクサンドロス大王が挨拶をして、何か希望はないかと聞くと、「あなたがそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った。帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言った。

 『哲学な日々』の著者は「哲学の先生って、研究室で、何をしているのですか?」という高校生の問いへの回答の中でこの逸話を紹介しこう締めくくる。「いい話ですよね。だから何だというわけでもないですが」
 余計な一言が多い人は世の中に私を含め五万といるが、哲学者のそれはシンプルで面白い。大笑いさせてくれる人は芸人に、くすりと笑わせてくれる人は哲学者になるのかもしれない。


哲学な日々 考えさせない時代に抗して

哲学な日々 考えさせない時代に抗して

  • 作者: 野矢 茂樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/10/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



アガサ・クリスティーの作品を読むのはこれが初めて [偽善者の日記]


『春にして君を離れて』は怖い小説だ。嫌な小説だ。それでいて面白い。
 自分は我が強い割に人からどう見られているか気にするところがある、と思う人にはこの本はすすめられない。一方でそんな人は、この小説をより深く堪能できるのではないかとも思う。

 主人公は中年の女性。
 主たる舞台は中東。
 周りには砂漠しかない宿泊施設に交通事情で足止めされた主人公。

 作者はアガサ・クリスティー。
 けれど殺人はない。名探偵もいない。

 満たされていたと思っていた人生への疑問。
 徐々に心の闇に浸食されていく主人公。 

 最後に主人公が発する一言までの心の移ろいが絶妙としか言いようがない。
 心はいつでも素直で移ろいやすく安易なところに落ち着く。 

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

  • 作者: アガサ・クリスティー
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2004/04/16
  • メディア: 文庫



この一票の行方 [偽善者の日記]

 この週末、私が住んでいる街の市長選が行われる。出馬は3名。
 3期目を目指す現職と、現職の進める箱物に異を唱える新人達。3期目を集大成と位置づける現職と政治改革の必要性を訴える新人達。ありがちすぎるシチュエーションに投票意欲が上がらない。
 とはいえ投票と子育ては私の義務。モチベーションを上げていく必要がある。
 新聞の地域情報に載った新人の、略歴からのアピールはなかなかだ。「50代から自転車旅行にはまり、65歳のときにはトルコからポルトガルまでを97日間で走破。だから体力には自信がある」らしい。実務経験の無さを強引なこじつけで乗り切るのは、就活でも常套手段であろう。市長に一芸枠はないが私の一票にはある。

真央ちゃん応援してます [偽善者の日記]

 このところ子供を連れての外出は近所の公園ばかり。若干の後ろめたさを感じていたところ、車で30分ほどの所にスケート場があることを知った。
 フィギュアスケートがテレビで放映される日は、親子で応援していたので子供たちも興味があるはず。長女を誘ってみた。

「スケートをしに行こうよ。スケートってわかるよね?」
「ええっ!真央ちゃんやってるやつだよね」娘は興奮した表情で応える。
「そう、あの包丁の刃みたいのがついた靴で氷の上を滑るやつ」
 娘は既に理解しているのに不要なたとえで追従する私。
「やりたい!」両足で跳ねながら娘が訴える。

 話は決まった。
 スピンのまねごとを始めた娘を横目に、手袋と着替えとその他のお出かけセットを用意。準備万端整ったところで、娘を見るとなんだモジモジしている。

「どうした?トイレ?」
「違う!」
「じゃあ何?」
「恥ずかしいなって・・・」
「何が恥ずかしいの?」
「だってみんな見てるでしょ」
「最初は誰だって滑れないんだから、転んだって恥ずかしがることじゃないよ。それにみんな自分のことでいっぱいで、人のことなんて見てないから。
 滑りたくないの?」
「滑りたい!」
「じゃあ出発!」
 玄関に向かおうとすると娘が立ち止まった。
「服は?」
「そのままで大丈夫だよ。濡れても着替えもあるし」
「ヒラヒラのかわいいスカートも持った?」
「んっ?あっ、そういうこと」

タングルウッドの奇跡 [偽善者の日記]

 グラミー賞の最優秀クラシック・コンペディアム賞を受賞した五嶋みどりさんの過去のエピソードが、東京新聞のコラムに載っていた。

~ ▼一九八六年七月、米東部、タングルウッド音楽祭でボストン交響楽団と共演した。曲は作曲者でもあるレナード・バーンスタインさんが指揮する「セレナード」。演奏中、五嶋さんのバイオリンのE弦がぷつんと切れた。どうするか。五嶋さんは平然とコンサートマスターにバイオリンを借り、弾き続けた▼他人の楽器。五嶋さんには大きい。それでも弾くが、試練は続く。その弦もまた切れてしまう。別の演奏者にもう一丁借りてなお続ける。演奏を終える。待っていたのは何があろうと演奏を止めなかった勇気に対する拍手と大歓声だった ~』 東京新聞 2014年1月28日

 その場面を想像してちょっと目頭が熱くなった。
 実際の状況を見てみたいと思いYouTubeで探す。やっぱりあるよね。
 記事では試練を乗り越えたような扱いだったが、私に見えたのは、より良い演奏を続けたいという求道者的な少女の姿だった。軽いタッチで説明するとこんな感じ。

  世界的な指揮者とオーケストラとの共演で高揚感を得ながら演奏
   ↓
  弦が切れる
   ↓
  もっと弾き続けたい!
   ↓
  借りちゃえ
   ↓
  また、弦が切れる
   ↓
  最後まで引き続けたい!!
   ↓
  もう一挺借りちゃえ!というより早く貸して!!

 実際はどうだったんだろうなぁ・・・
 
 あと、もう一つ思ったことがある。30年近く前の映像が大した努力もなしに見ることができる、とんでもなくありがたい世の中になったなぁ・・・

気持ちを切り替える出来事はそこかしこにある [偽善者の日記]

 ぎゅうぎゅう詰めだった車内が、東京駅での降車で少し余裕ができた。その時、爽やかなとても薄い水色が目に飛び込んできた。それは素人目にも品の良さがわかるニットのジャケットだった。私より少し背が高く、がっしりした体格にそのジャケットは不釣り合いな気がした。顔を覗くと見覚えがある顔。

あっ!ニットの貴公子だ!

 車内での身動きがとれるようになり、貴公子は私の後ろの手すりに掴まりにきた。降車の人のために一端降りた人と東京駅からの乗車の人が押し寄せてきた。なすがままに押されると背中が貴公子とぴったり合った。ニット越しに伝わる体温と息づかい。なんだかドキドキしてきた。
「ニットの貴公子ですよね」仮に声を掛けたとして次に続く言葉はない。私にとっての貴公子は数年前にテレビで見ただけの存在。更に私の趣味の範疇にニットはない。
 そんな貴公子を一目で思い出したのは、以前教育テレビ(今はEテレっていうんだっけ?)の趣味系の番組で見かけたときの印象が強かったから。ちらっと見た番組が気になって複数回見てしまったのは、画面から伝わる人柄の良さとニットについて語るときの表情に愛が溢れていたから。たとえそれが自分の興味の対象とは離れていても、物作りに情熱を傾け続けている人はとても魅力的だ。

 表情のない朝、ともすれば人混みに埋もれてしまいがちな日常の中で、貴公子とのひとときが私の背筋を少し伸ばした。電車から降り職場に向かう足取りはいつもより軽かった。


左手に抱えたちっちゃなおっさんを笑い飛ばしながら共に進む [偽善者の日記]

 どこで仕入れたのかすっかり忘れてしまったのだけれど「電話帳に登録されている名前に敬称を付けるといろんなことが上手くいく」というハウツーを思い出した。数年前に知った時はしっくりこなくて、年上の数名にだけ"さん"を付けて試したつもりでいた。
 大学の先輩にメールを出そうとして、先輩の名前を氏名のみで登録していることに違和感を覚え、そのことを思い出した。なんであの時、数名でやめてしまったんだっけ?と思いながら先輩の名前の後ろに"さん"を追加した。折角だからこの機会に全員の名前に敬称を付けちゃえと順に編集を開始。

 ある名前で機械的に行っていた作業が止まった。そうだ、前もこの名前で編集を止めたのだ。当時、あまり好ましくない出来事がその人との間に起きた(同じようなことが誰かの身に起きて、そのことを私に話してきたら「ちっちゃいなぁ自分」と関西風に一笑に付すようなことだ)。まだその熱が下げきらない時に敬称付けを行おうとして止まってしまったのだ。漢字の集まりにしか過ぎないその人の氏名の後ろに"さん"を付けるだけなのに。
 忘れていたわだかまりを思い出した上で、その人の氏名に"さん"を付けた。大げさに言ってしまえば一つの禊ぎが終わった瞬間だ。その後も何人か敬称付けをするべきか迷ったけれど、迷いつつ全員に付けることを選んだ。

 全員に敬称を付け終えて、このハウツーの自分にとっての意味が分かった。それは、ちっちゃな自尊心を守るために使っていた労力を解放することだった。
 ディスプレイに表示される敬称付きの名前が、自分のちっちゃさを受け入れた証のようだ。


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